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千川上水 下流を歩く(分配堰から) [川・川跡]

千川上水は、将軍の外出「御成」先の施設に水を引くのを目的として開削された。実際に水に困っていたのだろうが、将軍権力の誇示の意味があったのかもしれない。そうすると、江戸のインフラ整備や近郊の灌漑は、後から付いてきたのか。分配堰から先、御成先にどう配水されていたのか辿ってみた。

千川上水配水図1715-20.jpg
江戸上水総図 正徳末ー享保初年(1715ー1720頃)、作者不明、岐阜県図書館所蔵。「地図中心」山下和正さんコレクションから。千川上水の水路は茶色で示されている。配水の様子がよく分かる。
千川上水配水図1716a.jpg
江戸上水配水図 享保元ー享保3(1716-1718)頃、千川家所蔵、練馬区登録文化財。千川上水は青、神田上水は赤で示されている。何とか地名を読み取って記入した。ピンクの丸が御成の地、小石川(白山)御殿、湯島聖堂、東叡山、浅草御殿である。
東京kash3_微地形a.jpg
小石川、湯島、上野などは起伏に富んだ町である。一度低地に入ってしまうと木樋では大変である。カシミール3D (パレット・微地形強調版)で高低を見てみた。本郷台地をうまく利用していることが分かる。千川家の配水図、東京学芸大学の調査資料にしたがって配水路を青で記入。東側低地の詳細はわからず、かなり省略してしまった。
 ところで、上の「総図」では、吉祥寺の南から直接東叡山につながる水路があるが、千川家の「配水図」ではつながっていない。本郷台地と上野台地の間には、カシミール地図で分かるように、幅200~300m、高低差10m以上の谷がある。谷田川(藍染川、旧石神井川)跡である。上水道の小規模な木樋サイホンは発掘されているが、これだけのスケールになると、越えるのは難しいだろう。後でもう少し調べてみたい。
千川上水配水図Google_E1.jpg
Google Mapに御成先と水路を記入してみた。水路は巣鴨から本郷四丁目まで南下し、二手に分かれる。一つはまっすぐ聖堂に流れ、浅草門橋に向かう。もう一方は左折して浅草寺方面へ。古地図の大雑把さと、現在のデジタル地図の緻密さとはなかなか整合しない。
木樋.jpg
使われていた木樋(何れの上水のものか不明)。漏れを防ぐための苦労が偲ばれる。千川家文書「千川上水録」によると、巣鴨~浅草鳥越橋 5100間、浅草鳥越橋~田町 1,760間、など上水筋合計は12,884間程(23,191.2m)にも達するという(東京学芸大学近世史研究会調査報告2「千川上水・用水と江戸・武蔵野~管理体制と流域社会~」より)。
江戸の上水井戸.jpg
井戸及び上の木樋の写真は東京都水道歴史館にて。

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